山村高淑 school icon

北海道大学 観光学高等研究センター 教授

プロフィール

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deko[at]cats.hokudai.ac.jp


研究について

人は、経済だけで動くわけではない、と思います。モノやお金は幸福の手段たり得ても決して幸福そのものではないと思うのです。金や地位や名誉などではなく、生身の人間としての真の豊かさとは何なのでしょう?旅とは、そうした豊かさを発見するための行為、生きる哲学を考えるための時間だと信じています。

ふとしたときに「旅」に出たいと思います。人付き合いが下手だから、ちょっと一人になりたいときがあります。パソコンのケーブルを引っこ抜いて、携帯電話もとどかない場所へ逃げていきたいときがあります。「旅」に出るということは、世間で言うところの「観光」なんて手垢にまみれた言葉で説明できるものではなく、もっと深いところで心と向き合う行為だと思います。もちろん経済開発のための観光研究はあってしかるべきで企業や国家のため観光戦略も重要だとは思います。

でも私は、もっともっと、「旅すること」の原点をじっくり考えて、お金にならなくても、地位や名誉が得られなくても、99人からそっぽを向かれても、1人の人間の魂を救うような、そんな「旅」について研究していきたいと思っています。

もっと時流に乗った流行の研究なんかができれば世間からの受けも良いのでしょう。でもやっぱり私にとっての観光研究の原点は、子供のころ祖父と一緒に乗った電車の記憶であり、父が子供の私を毎年夏休みに連れていってくれた家族旅行の思い出であり、母の自転車の後ろに乗せられて近所に聞きに行った鶯の声であり、絶対お金に替えたくないものなのです。

人間とは不完全な存在です。だからこそ、本質的に完全を目指すという性向を有しており、常に足りない部分を補完するべく、本能的に行動するのだと思います。「旅」という行為自体、こうした人間という不完全なる個の存在の、自己補完行為あるいは自己進化行為として捉えるべきではないだろうか、と思ったりします。

もし、真理を求めることが学問の目的であるのならば、聖=俗、メイン=サブ、地位・年齢・身分すら既に無意味です。然るに、旧態然たる枠組みで新たな観光を考えようとすることもまた無意味だと思います。動物行動学的に見た旅の本質のひとつは、個の移動により、既存の社会構造の均質化・固定化・腐敗化の阻止を図ることにあると私は考えています。であるならば、我々は旅を通じて社会を変える力を有しているはずではないだろうか・・・などと思ってしまったりもするのです。

私はまず一人の旅好きとして、研究対象の制限、社会的身分による制約、発言の不自由を取り払い、旧来の研究における人間性の欠損部分を補うべく、旅を通して人間は如何に心豊かに生きられるのか、考えてみたいと思っています。

そして、私たちが人間であるところの、その根幹部分、あるいは性(さが)・業(ごう)である「文化」そのものを私たちはどのように捉え、そして背負っていかなければならないのか、じっくり悩んでみたいと思います。

そうすることで、旅を通した様々な文化の接触が、紛争やいがみ合いの原因となるのではなく、お互いの違いを認め、違いを尊重するきっかけとなるような、そんな旅のあり方、文化の捉え方を描いていければな、と思います。そして、多様な価値が堂々と共存できる社会の実現に、少しでも貢献できればと、夢想しています。